質素とエコに暮らす日々

田舎のボロ家で年間100万円以下の質素でエコなひとり暮らし。たわいのない日常系ブログです。


和風パスタ

今日は一日いい天気でしたね。ずっと真っ青な空でしたよ。



和風パスタ。いつもの野菜炒めパスタに少し醤油を垂らして、削り節をのっけただけですけどね。(´艸`*)

moblog_4650c908.jpg

マカロニサラダ

moblog_e4677171.jpg

大根の煮物
。久しぶりに作りました。

moblog_c01dc328.jpg


今日もボリューミーになってしまった。(・ω<)

moblog_8e2df9ca.jpg
関連記事



いつもポチっと、ありがとうございます♪v(^∇^*)/^☆

にほんブログ村 その他生活ブログ 明るい貧乏生活へ


お好み焼き

あ、昨日のごはん記事、アップするの忘れてた。(・ω<) テヘペロ

おはようございます。

今日も朝からいい天気です。

でも朝は冷え込んで内職部屋は5.2℃。寒い!

今朝はゴミ出し日だったので6:30頃外へ出たら、吐く息が白かったです。

11月も中旬だし、いよいよ本格的な冬ですかね~。

と言うことで昨晩アップし忘れた昨日のごはんです。





昨日はお好み焼きでした。

最近は肉がない分、フライパンに引く油の量を少し増やしました。そのほうが美味しいです。もちろん油はオリーブオイルです。

moblog_526c4b86.jpg

キュウリないけどマカロニサラダを作りました。最後の買い置きツナ缶を半分入れました。

moblog_39ca4839.jpg

シイタケとエノキの炒めもの

moblog_26a87283.jpg


青のりはナシ。と言うより買ってないのよ。( *´艸`)

moblog_32e918ae.jpg
関連記事



いつもポチっと、ありがとうございます♪v(^∇^*)/^☆

にほんブログ村 その他生活ブログ 明るい貧乏生活へ


寒い

おはようございます。

今朝は寒い朝です。内職部屋は7.2℃。

さすがに一桁台は寒いですね。

天気は一日晴れ予報なので今日は洗濯と布団☆をしようかな。





1月の引っ越しですが、引っ越し先には駐車場がないのです。なので車をどうするかですが、今度の家は比較的便利な場所なので生活には車が必需ではありません。

でも、せっかく乗り換えたばかりなので、車検が切れるまで乗るのもありかなと思い付近の月極駐車場を調べたら結構高いのですよね~。

約2年間の駐車場代+自動車保険代>車価格です。維持費を考えると今処分したほうが断然お得なのですよね。

なので、潔く1月で処分することにしました。

知り合いの友人が車を欲しいらしいのでたぶんその人に売ることになるかな。4カ月しか乗らないことになるからなるべく高く買ってほしいけど、買う人は安く買いたいでしょうしね。

車の買い替え時期はタイミングが悪かったですね。一番高価なものなのにな~。(´・ω・‘)ショボーン

まあ、仕方がないですけどね~。( ;∀;)

関連記事



いつもポチっと、ありがとうございます♪v(^∇^*)/^☆

にほんブログ村 その他生活ブログ 明るい貧乏生活へ


野菜炒めたっぷりの醤油ラーメン

予報通り、曇りの一日でした。明日は晴れ予報だから洗濯をしようかな。



特売75円だった醤油ラーメンを使って野菜炒めたっぷり醤油ラーメンです。野菜炒めの具はもやし、玉ねぎ、にんじん、小松菜、シイタケ、ちくわです。仕上げにネギもたっぷりと。

moblog_f842712c.jpg

豆腐サラダ


moblog_0620bae5.jpg


今日は半ライス付です。(`・ω・´)ゞ

moblog_215b3892.jpg

関連記事



いつもポチっと、ありがとうございます♪v(^∇^*)/^☆

にほんブログ村 その他生活ブログ 明るい貧乏生活へ


曇り空

おはようございます。

今朝は曇り空の広がるどんよりとした朝です。

気温は14.5℃。

寒いと言えば寒いけど、一ケタの温度ではないのでまだマシです。( *´艸`)

天気予報は一日曇りです。



引っ越しはすべて自分でやるつもりです。

なので引っ越し業者に頼むように荷物を運ぶのも一気には片付きません。

引っ越し業者の価格はよくわかりませんがひとり暮らしだと最低でも4,5万円はかかるのかな?もっとかかるかな?

自分でトラックを借りてやってもいいけど、トラックのレンタルもそこそこの値段がしますからね~。

こちらに引っ越してくるときは知り合いの人を通して安くレンタカーを借りれたのでかなり安く済みました。

今回はそれもないので軽自動車に積んでゆきます。

それゆえに荷物を最小限にするために断捨離を進めているというわけです。

1往復+宅急便8個くらいで済まないかなと皮算用をしているわけですが、まだ微妙な感じなのですよね~。

場合によっては2往復しないといけないかなと思いますが、往復すると高速代などで1回13000円くらいかかる感じなのでできれば、1往復で済ませたいなと思っています。

それには車に積める荷物の量を的確に判断しないといけないのです。

なので1回、車の荷室のサイズを測ってそこにどれくらいまで荷物が乗るかをシュミレーションをしてみようかなと思っています。

車もワンボックスならそんなことをしなくても一回で済みそうなんですけどね。

自分の車で2往復するなら、軽のワンボックスを借りたほうが安いかな~。でも体力的に1泊2日になるからレンタルのほうが高いかな。微妙なんですよね~。

というわけでできるだけ事前に荷物を少なくする努力をしています。(`・ω・´)ゞ

関連記事



いつもポチっと、ありがとうございます♪v(^∇^*)/^☆

にほんブログ村 その他生活ブログ 明るい貧乏生活へ


私の生死観

私は小さい頃から「死んだらどこに行くのだろう?」とか「なんで死ぬのだろう?」なんてこと考えてきました。

そんなことを思っていた一番古い記憶は小学生の高学年頃かな。

でも、「死んだらどこに行くのだろう?」とか「なんで死ぬのだろう?」という疑問に納得のゆくような答えは成人しても見つかりませんでした。

宗教に聞いても「神を信じなさい」としか言われないし、そもそも「その神の存在は信用できるのか?」というさらなる疑問しか湧いてきません。

聖書やコーランの日本語訳を3回くらいずつしか読んでないけど、どうもこれは違うなと感じるわけです。唯一、原始仏教の経典だけは私を納得させうる要素が多かったのです。

原始仏教の経典、スッタニパータやダンマパダは5回以上読みました。でも、これを読んで思うのは原始仏教って宗教じゃないんじゃない?ってことです。

そもそも、原始仏教の経典には「神を信じなさい」とか「信仰が全てである」とかはあまり書いてありません。

ただ、「各々がどのような心をもって今を生きるべきか?」という指針をお釈迦様が述べるという形式のものです。ここが他の宗教と違う点ですね。原始仏教の経典は宗教というよりは道徳、哲学に近い内容です。

だから死についてもあまり追及されていません。どちらかと言うと現世主義的な印象なのです。でも普通の現世主義と違うのは「死は必ず訪れるものだから、今を生きているうちに一刻も早く為さねばならないことをなし、為さざるべきことはなさないようにすべきだ」という単純な発想な点にあります。

悪い事なんかしている暇はない。死はあっという間に私を連れ去ってゆく。だから、生きている間になるべくよい事をしておきなさい。そうすれば死んだときに後悔が少なく、また死後の世界に恐怖せずにいられる。

原始仏教ではこのような生死観なのです。(もう少し深いところの話だと輪廻転生と解脱の話になるのだけど、それは修行僧レベルの話です。世俗と言われる一般の人々への教えはまた少し違うのですね。)



話がそれましたが、今の私が考えている生死観はお釈迦様の教えに沿った考えであると思います。

簡単に言うと、

死はすべての生き物に必ず訪れるものである。だから、死は恐れるものではない。

では人はなぜ死に恐怖するのか?

それは自分の為すべきことをなさず、為さざるべきことをなしてしまうことに原因があると思うのです。

簡単に言えば死の恐怖とはすなわち「今の自分が知らない世界(死後)で、現世に起こしたすべての罪悪が暴かれてしまうのではないか」ということを恐れているということなのです。

例えば、犯罪を犯した犯人が警察を恐れるようなものです。犯罪を犯していない人、ましてや善人が警察を恐れる心配があるでしょうか?


このように考えると、現世もあの世も一つの線で結ばれているのではないかということです。つまり、現世の延長線上にあの世がある。このように私は死後の世界を考えています。

だから、死は恐れるものではないと思うのです。

そもそも命は私のものではありません。


命(寿命)は私には決められないからです。私の命は何かの力から授かったものなのです。この意味をよく考えることです。なぜ私は今を生きているのか?生かされているのか?

生きるとは何なのか?なぜ、生きなければいけないのか?



生きる、生かされている延長線上に死の意味もあるはずなのです。わかりにくいでしょうか?


私たちは生きているのではなく、何かの力によって生かされています。寿命の長さを自分では決められないのがその証拠です。

だからこそ、生きている間に悪い事はなるべくせず、善い行いを多くすべきだと思うのです。寿命を決めている何かの力によって私たちはすべてを見られているからです。だから、誰も見ていないからと言って悪いことをしてはいけないのです。

例えば昔から日本では閻魔大王様が地獄行きか天国行きかをその人のそれまでの言動によって裁くというお話しがあります。これはある意味で真実なのかもしれません。

閻魔大王様ではないけど、私たちは何かの力に生かされている以上、すべてはその力の持ち主によって私たちの言動はチェックされているはずです。



だからこそ、生きている間に善行を積んでいれば恐怖することもないのです。恐怖するのは、悪行を行い、善行を積まなかった証拠です。

こう話すと、「親に言われるからよいことをする」というような話と同じようにとられるかもしれません。

でも、親に言われてしていた善行でも、その子が成長する過程の中でそれがやがて自分のものになってゆくのです。

それと同じです。


「何かの力」これを神と呼ぶ人がいます。真理と呼ぶ人もいるでしょう。でも、本当は同じものなのです。


何かの力によって生きている私たちは死によって終わるのでしょうか?

私はそうは思いません。では、輪廻転生をするのでしょうか?

私にはわかりません。

ただ、私に分かるのは、今を生かされているうちに「いつ死んでもいいように生きる」ということです。

死んだときに恐怖することなく、生きていた時の私を振り返ったとき、死後の私が恥ずかしくない行いをしたい。ただ、それだけなのです。



もちろんすべてを完璧な善行にすることなどできるわけがありません。でも、それでもいいのです。

少しでも、小さなことでも胸を張って言える行いを1つずつ増やすこと。これこそが現世での本当の生きる意味ではないか?こう私は思うのです。
関連記事



いつもポチっと、ありがとうございます♪v(^∇^*)/^☆

にほんブログ村 その他生活ブログ 明るい貧乏生活へ

  • CATEGORY
  • COMMENT2