第十七章 怒 り

227 アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。

228 ただ誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。

[真理のことば(ダンマパダ)中村 元訳 ]



もしも「この人は賢明であり、行ないに欠点がなく、知慧と徳行とを身にそなえている」というような人がいたとしても、すべての人に称賛されるわけではない。策略によりいわれなき批難を受けることもあろう。しかし、そのような時にも批難に怒らず「賢明であり、行ないに欠点がなく、知慧と徳行とを身にそなえている」行為を続けるなら、それは自分にとって善いことである。(たとえ策略による誤解が解けずとも)それはとても難しいことなのだが。


注:この記事は右のカテゴリ(ダンマパダ)の中にある過去の記事を新たな自分のコメントを加え、再投稿するものです。


この世はカオスであるのです。ゆえに、すべての行為が完璧な人がいても、嫉妬や無頼によって批難は止みません。逆にどんな悪人でも称賛する人も出てきます。

これらのダンマパダの言葉を真理と思うならば、自らのなすべきことがわかるのではないでしょうか?

人の目を気にするというのは全くの無意味であるということです。

自分の信じる道(善)を進むときにも批難は立ちはだかるでしょう。しかし、何もしなくてもまた別の批難は立ちはだかるのです。

どちらを選ぶべきかはその人次第なのです。


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