第十八章 汚 れ

242 不品行は婦女の汚れである。もの惜しみは、恵み与える人の汚れである。悪事は、この世においてもかの世においても(つねに)汚れである。

243 この汚れよりもさらに甚だしい汚れがある。無明こそ最大の汚れである。修行僧らよ。この汚れを捨てて、汚れ無き者となれ。

[真理のことば(ダンマパダ)中村 元訳 ]


悪事は、この世においてもかの世においてもつねに汚れであるならば、悪事をせぬさせぬ理由はこれである。なんて単純なことなのだろう。それを知らぬことこそが最大の汚れとなっている。2015/12/10


注:この記事は右のカテゴリ(ダンマパダ)の中にある過去の記事を新たな自分のコメントを加え、再投稿するものです。


243の言葉は修行僧に向けられた言葉です。世俗を離れた修行僧だからこそ無明を捨てなくてはならないということなのです。

一方で世俗で暮らす私たちには無明はなかなか捨てられないものです。しかし、242のような言葉なら実行できます。

このように経文の中には一緒くたにはなっていますが、お釈迦さまはそれぞれの立場にあった教えを説いているのです。(それゆえに研究者にとっては整合性がないとみられる教えを平然と説くのです。)

この臨機応変さと懐の深さがお釈迦様の教えの素晴らしいところだと私は思うのです。


関連記事


いつもポチっと、ありがとうございます♪v(^∇^*)/^☆

にほんブログ村 その他生活ブログ 明るい貧乏生活へ

0 Comments

コメント