第二一章 さまざまなこと

302 出家の生活は困難であり、それを楽しむことは難しい。在家の生活も困難であり、家に住むのも難しい。心を同じくしない人々と共に住むのも難しい。(修行僧が何かを求めて)旅に出て行くと、苦しみに遇う。だから旅に出るな。また苦しみに遇うな。

[真理のことば(ダンマパダ)中村 元訳 ]



苦しみにあわないことによって苦しみをさける。好んで苦しみにあうようなら、苦しみからの解放はありえない。この世では難しいことではあるのだが。


注:この記事は右のカテゴリ(ダンマパダ)の中にある過去の記事を新たな自分のコメントを加え、再投稿するものです。


この解釈は難しいと思うのです。

「困難な道をあえて進む必要はない。なぜなら、その困難の先には苦しみがあるからだ。」という意味だと受け取ると、「困難は苦悩(苦しみ)を生むだけで何も善いことがない」と解釈できるのだけど、さて、どうしたものか。

お釈迦さまは苦悩を限界まで味わって、その「苦悩からの解放を解脱に見た」と考えるのなら、「わざわざ苦悩ををせずとも、目指すべき解脱を一番に考えたほうがいい。」というふうにもとれる。

事実、お釈迦さまは苦悩の元、昔ながらの数々の苦行を苦悩の退散のためにしたのだけど、それでは苦悩の退散(解脱)には及ばず、その後の沙羅双樹のもとで行った瞑想から解脱に至ったという行程を考えるのなら、苦悩からは何も生まれない(解脱できない)のだから、苦悩に合わないようにするのが一番というのはわからないわけではないのかなとは思うのです。

まあ、人は実際に自分でやってみないとわからないというのはあるので、なかなか難しことではあると思うのです。
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