食の「思い」と「愛情」

この世のほとんどがお金で買える便利な世の中になりました。

特に食に関してはすべてのものがお金さえ出せば買えるでしょう。

例えばおにぎり。

「おにぎりを買う」なんてことは私が小学生の頃は考えられませんでした。それが今や普通になっています。ペットボトルの水なんかもそうですね。

今はお金さえ出せば、すでに調理してある食べ物がすぐに食べれて十二分に美味しいです。

でも、それだけで人は生きていけるのでしょうか?

私はそうは思いません。

食は人の基本です。

ただ、「食べ物を食べれば成長する。」のでしょうか?

私は料理には「食」以外の大切なものが含まれていると思うのです。

それが作った人の「思い」であり「愛情」です。

個人的には「食」のなかで一番大切な要素であると思っています。

例えば、一流の料理人ほど料理にかける思いと愛情の深さを知っています。それが美味しさへの基本でもあるわけです。

現代の日本はこの「思い」と「愛情」が薄くなった社会になっています。

コンビニやスーパーへ行けばいつでもお弁当やおかずは買えます。

それゆえ、社会人はもちろんいまや子供たちの日常食ともなっている場合があります。

でも、その食べ物の中に「思い」と「愛情」はあるのでしょうか?

もちろん、企業は美味しく食べてもらうために日々努力を重ねています。しかしそれは「買ってもらうため」です。たとえ無償の愛があったとしても不特定多数へと向けられた思いです。

家庭の料理に比べたらその比ではないですね。

私はこれらの食の変化が近年爆発的に増えている精神疾患の原因のひとつではないかと思っています。

ただ、「体を作る、あるいは維持するためだけの食」がはびこっています。そこには家族の「思い」と「愛情」が含まれていません。

栄養学に「思い」と「愛情」は必要でないからいらない?とお考えなら仕方ありません。

しかし、私はどんな栄養学上の栄養素より最も食に必要なのは食べる人への「思い」と「愛情」であると思っています。

だから、たとえどんな粗末なものであろうともそれに「思い」と「愛情」を感じられるなら、人はそれで「生きてゆく力」がでるのだと思います。

こんなことを考える私はアマチャンでしょうか?


でも私はこの考えを今後も大切にしてゆこうと思っています。



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