成長

私のライフワークのひとつに「この世に生まれてくる意味を考えること」がある。

流行りのスピリチュアルな答えは「魂の成長」らしい。釈迦は「ニルバーナに入ること」、イエスは「愛と主への絶対的信仰」を説いた。


これらを鑑みて現在のつたない私的理解として考えるのは

「気づきの体験」と、それから得られるはずの「自己の成長」の具現化

である。簡単にいうなら、

日常の中の「気づき」を介して得られる「発見」を、自分の「心」や「思想」「生き方」に反映させること。そしてそのことによって自分が成長すること

である。

ハッとして何かに気が付く時は日常的にある。これはある種の「サイン」であるといえよう。

例えば、「野に咲く1輪の小さな花に気が付くとき」に人は癒しを与えられる。そしてその周辺に転がるゴミを見ることだろう。そのゴミは確実に人が捨てたものだ。「癒し」のそばに「人の醜態」がある。そこにもし「自分はゴミをむやみにポイ捨てするのは止めよう。」「ゴミを拾ってみようかな。」と思えるならその人はその「気づき」で自分が「成長」したことを知るだろう。

多くの人は日常の中の「気づき」を深く考えることなく無視してしまう。そして、自分の尊厳が断たれたときなどの重大なことがあって初めて「気づき」に目覚める。本当はそれらの「気づき」は空気のように無限に降り注いでいる。それを日常の中で自分が気づけるか?どうかだけなのだ。

「気づきの体験」とそれから得られるはずの「自己の成長」の具現化

これは真理ではないかもしれない。でも、もしもこのことを知ることができるのならそれは「魂の成長」でもあり、賢人たちの教えの一部ではあるのではないかと私は思うのである。


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