ミニマリスト

ミニマムな生活スタイルが一部の方に支持されてミニマリストとかいう方が流行のようです。

ミニマリストのスタイルは典型的な都会暮らしと個人主義があってこそ成り立ちます。

例えば、冷蔵庫がない生活は徒歩圏にスーパーやコンビニがある地域でしか不可能です。買い物へ行くにも車で30分とかの田舎ではまず不可能なスタイルであると言えましょう。つまり、冷蔵庫がない生活は都会の過度な利便性に依存したスタイルであると言えるわけです。

また、家族という構成にはミニマムな生活スタイルは不可能です。物理的に子供があれば物は必要になります。また家族の危機管理意識も高くなりますから、家族構成が多くなるほど物は増えるでしょう。複数の人がいる場合、一人がミニマリズムを主張しても、個々の個性によりミニマムな生活の統制がとれない可能性も高くなります。

つまり、ミニマリストの出現は都会的な便利な生活の上に成り立ち、かつ、単純な家族構成に依存しているわけです。

このようにミニマリストを分析するとミニマムな生活スタイルが「賛美に値する生活である」とは言えなくなるでしょう。

それに「危機に備えられていない」という最大の難点を理解すべきでしょう。今はいつどこで何が起こるかわからない時代です。あらゆる災難にあったときの準備がなされていない場合、最も不利な条件にあることを認識しておかねばいけません。



「ミニマリズム」は時代の流れの中の「流行」です。それが「真理に基づく人間の生き方である」とは言えません。ミニマリストは物があふれる時代への反旗でありながら、また、それは逆に「物があふれる時代だからこそできるスタイルであること」を知るべきでしょう。

「無駄をなくすこと」自体は悪いことではありません。ただ「過度に無駄をなくす」ことは逆に「無駄を作り、無駄なことを増やす」可能性が高いのです。それはもはや「無駄」と同じと言えましょう。


なんにでも過度な行いは身を滅ぼします。「物を極限までなくす」ということはすでにそこに「物をなくしたいという過度な欲」があること知るべきです。その「物をなくしたいという過度な欲」は「物が欲しい欲」とまったく変わらない「同じ欲」であることに気が付かねばなりません。「欲」があるものはやがて身を滅ぼすでしょう。



真のよい生活とは、「欲」そのものが少なく、今あるものを大切に使い、質素な生活をすることだと私は思います。



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4 Comments

こだ。  

ひまわりさんこんにちは!

ひまわりさんこんにちは。

ミニマリスト大好きなこだです。
ですので今回のブログの文章はひさびさに胸にぐさっと刺さりました…。お手柔らかにお願いしますwあ、でも私ミニマリスト名乗れるレベルではなかったですごめんなさいww

防災や危機管理についてどう考えているのかという事は、ミニマリストの方へのインタビューで時折質問されていたり、単身の都会暮らしの人間にしかできない生活ではないかというのはネット上でもたびたび指摘をされているようでした。それぞれの方々の回答があると思いますが、私は一時的な「通過点」「準備期間」として有用に感じています。どちらかというと、行き詰まってしまった状況、一人でどうしていけばいいのかという不安から逃れる、改善する道を照らす一筋の光、道しるべのように思っていました。その生活スタイルを賛美されたいとか、賛美するとかではなくて、どこかで行き詰った人たちへのヒントを分けてくれているような…。実際、本の印税をすべて寄付したり、余分なものを人に差し上げたり、というような姿勢の方もいらしたので、そんなふうに思っています。

でも、改めて、ひまわりさんの指摘のなかの「子供」というくだりで胸が痛くなった私は、やっぱりこのままのひとりでの生活を続けることは苦痛なんだなあと改めて気がつくことができました。
ただ都心で単身という状況が今しばらく続くので、ミニマルな暮らしを肯定される風潮には、どこか救いを感じているのが正直なところです。

ミニマリストの方々のライフスタイルが幸か不幸か真似しやすい環境なので、実践することで 自分なりの答えが見つかればいいなと考えていました。

でも、ひまわりさんの生活スタイルもすてきだとおもいます。
ひまわリスト…というのはどうでしょう(失礼しました)
これからも勉強させてください。

乱筆乱文失礼しました…
文章が長くなってしまいました。失礼しました。

2017/01/08 (Sun) 15:32 | REPLY |   

ひまわり  

Re: ひまわりさんこんにちは!

こだ。さん、こんにちは。


私の持論ですが「気づき」はこの世に生まれてきた意味をなすものであると考えています。

つまり私は「現世のみならず、魂は存在する」との立場であるわけです。

深く探究すると「生きる意味を知る」ということになりますが理解するのは難しいかもしれません。



ただ、この世の意味を考えるなら、「気づきは自分の成長につながる」とは思うのです。そして気づきを得たならそれからの行動が真の意味を形成するとも思います。

もしも、何かを感じ、自分自身を変えることができるなら、それは真の意味での自分自身の成長へとつながると信じています。

「救いを感じている」とはつまり「仮の幸福」です。それは長くは続きません。やがて消滅するでしょう。

真の意味での幸福は「自分の中の気づき」にのみあります。気づきに素直になり自分を行動させるなら、真の幸福に包まれることでしょう。

少し難しいかもしれません。

ただ、この世は無限の幸福に満ちているのです。逆に見方によっては無限の不幸に満ちているとも言えます。どちらを選択するのかは自分自身なのです。


全ての人は生まれてきた意味があると私は信じています。だから、何一つ無駄なことはありません。ただ、早いか遅いかの違いです。遅いなら遅いなりに成長をすればいいのです。(成長しなくてもいいとも思います。輪廻の中でやがて成長するでしょう。)

だから私は他者を否定しません。あなたはあなたのままでいいのです。やがて気づきを得られ成長を得られると思うからです。

そういう意味で「この世は自分の為にのみある」のです。



少し、難しい話になりましたかね。


2017/01/08 (Sun) 17:54 | REPLY |   

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2017/01/10 (Tue) 20:15 | REPLY |   

ひまわり  

鍵コメさん、こんばんは。

問題ありませんよ。

2017/01/10 (Tue) 20:42 | REPLY |   

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