目に見えないもの

この世にあるのは「目に見えるもの」だけではないというのは皆がわかっていると思うのだけど、「目に見えるもの」より「目に見えないもの」のほうが多くて、しかも「目に見えないもの」のほうが大事なもの(事)が多いのではないかな?と私は思うのです。

科学は主に「目に見えるもの」の研究です。しかし、私は「目に見えるもの」より「目に見えないもの」のほうが多いと思っているので科学を信用していません。

私の想像する世界は、「見えないもの」がほとんどで「見えるもの」はごくわずかでしかないのです。



人間の視覚の構造は目の水晶体から入った光を網膜が可視光線という限られた範囲の光の波長を感じて電気信号へと変換し、視神経を通じて脳に視覚情報として入ってきています。

簡単にいえばデジカメみたいなもので、デジカメに詳しい人ならわかると思いますが実物を映像にするには、レンズ性能、センサー性能、電気信号処理性能、取り込み速度性能、デジタル情報保存処理性能が求められます。

これを人間に置き換えるとわかりやすいと思いますが、どこの部分の処理性能が悪くてもうまく映像をとらえられませんし、いくら性能が高くても無限大に実物に近づくことは難しいのです。

つまり厳密にいうと私たちが見ている世界は一人ひとり違う世界を見ているわけです。

このあやふやな見える世界だけが本当にこの世の大切な部分なのでしょうか?五感で認識できるだけがこの世の世界なのでしょうか?




私は五感で感じるこの世の世界をすべてだと思っていません。先にも言ったように見えないもの、五感では認識できないものの世界のほうが広大であると思うのです。(例えば、地球と宇宙を比べるように)

よく科学が「わからないことがまだまだたくさんある」と言いますが、実はわかっていることの方が少ないのです。しかも、その「わかったと思っていることのすべてもまた正解ではない」とさえ私は思っています。



何が言いたかったのかと言うと、この世に見える(認識できる)ものは実はちっぽけな世界であるということです。

とてつもなく広大に思える宇宙でさえ莫大なエネルギーを放出する宇宙エネルギーでさえも実は「見えないもの」と比較すると、(「見えるもの」の世界は)素粒子1つの大きさとエネルギーにも及ばないかもしれません。

「見えるもの」のちっぽけな世界に縛られることなくもっと「広大な世界をみること」、それが「見えないもの」を知ることにつながるのだと私は思うのです。





例えば海を見たことがない人には海の認識がありません。海とはどのようなものか?を知りません。しかし、海は確かにそこにあります。私たちは海を見たことのない人だと例えられると思います。

私たちは海を知ることができるでしょうか?その海は「見えない海」です。それなのに見られるときが来るのでしょうか?

私が考えるにこの肉体から解放された時がその時ではないでしょうか?

真実は知るよしもありませんが、私が楽しみにしていることではあります。w


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