【 第一 蛇の章 】  3 犀(さい)の角

36 交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

37 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

38 子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

[ブッダのことば(スッタニパータ)中村 元訳]




第一 蛇の章 3 犀(さい)の角 です。

愛情、妻、子、友を持たず、ただ独りで真理の道を歩めと修行者に教えています。




しかし、一方でこうもおっしゃっています。

45 もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。




しかし、実際はとても難しいことだともおっしゃっています。


48 金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

49 このように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起るであろう。未来にこの恐れのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。




修行者が2人以上が集まると必ずいさかいになるだろうということです。なぜなら、修行者にはまだ自らの我(欲望)があるからです。欲望を滅するはずの修行が、集うことで増えてしまうとお釈迦さまはおっしゃっています。

そして「欲望」の正体をこのようにおっしゃっています。

50 実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。欲望の対象にはこの患いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

51 これはわたくしにとって災害であり、腫物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。




だから、修行者は犀の角のように(一角の犀のこと)、ただ独りで修行するのが良いとおっしゃったわけです。


これは世間(世俗)でも同じですね。人が多いほどそれぞれの我で必ずぶつかりが生じます。親友、恋人や夫婦二人でさえ、ぶつかり合うことがあります。

それをいかにして解決するか?がうまく生きるコツであると私は思いますが、「我を曲げられない」とそれが患いとなり、「我を押し通すこと」で破滅になるのです。

結局は建設的に話し合うか、どちらかが折れるかしか方法はありません。でも、困ったことにそれがなかなかうまくゆかないことが多いですね。




3 犀(さい)の角  次回に続きます。


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スッタニパータ

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