【 第一 蛇の章 】 6 破  滅

【 第一 蛇の章 】 6 破  滅 は下記のような文章から始まります。

わたしが聞いたところによると、──あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、<孤独なる人々に食を給する長者>の園におられた。そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころ、ジェータ林を隈なく照らして、師(ブッダ)のもとに近づいた。近づいてから師に敬礼して傍らに立った。そうしてその神は師に詩を以て呼びかけた。
[ブッダのことば(スッタニパータ)中村 元訳]



ここに登場する「神」は特別な存在を意味します。だから「神様」というより「位の高い人」という意味に解釈したほうがいいかな?と個人的には思います。

もちろん、サンユッタ・ニカーヤのような「神々との対話」を収めたお経もありますけど、常識的に考えるのなら「位の高い人」との問答を後の人が「位の高い人」=「神のような存在」=「神」と表したというほうが納得できますね。



さて、【 第一 蛇の章 】 6 破  滅 に戻ります。

ここでは「神」が「破滅への門」(破滅への行い)についてをお釈迦様に尋ねます。

91 「われらは、<破滅する人>のことをゴータマ(ブッダ)におたずねします。破滅への門は何ですか? 師にそれを聞こうとしてわれわれはここに来たのですが、──。」



お釈迦様はこれに12の「破滅への門」でお答えになられます。

92 (師は答えた)、「栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる。」

94 「悪い人々を愛し、善き人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむ。これは破壊への門である。」

96「 睡眠の癖あり、集会の癖あり、奮励することなく、怠りなまけ、怒りっぽいので名だたる人がいる、──これは破滅への門である。」

98 「みずからは豊かで楽に暮らしているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる、──これは破滅への門である。」

100 「バラモンまたは<道の人>または他の<もの乞う人>を、嘘をついてだますならば、これは破滅の門である。」

102 「おびただしい富あり、黄金あり、食物ある人が、ひとりおいしいみのを食べるならば、これは破滅への門である。」

104 「血統を誇り、財産を誇り、また氏姓を誇っていて、しかも已が親戚を軽蔑する人がいる、──これは破滅への門である。」

106 「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって得たものをその度ごとに失う人がいる、──これは破滅への門である。」

108 「おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、──これは破滅への門である。」

110 「青春を過ぎた男が、ティンバル果のように盛り上がった乳房のある若い女を誘き入れて、かの女について嫉妬から夜も眠れない、──これは破滅への門である。」

112 「酒肉に荒み、財を浪費する女、またはこのような男に、実権を託すならば、これは破滅への門である。」

114 「クシャトリヤ(王族)の家に生まれた人が、財力が少いのに欲望が大きくて、この世で王位を獲ようと欲するならば、
これは破滅への門である。

115 世の中にはこのような破滅のあることを考察して賢者・すぐれた人は真理を見て、幸せな世界を体験する。」
[ブッダのことば(スッタニパータ)中村 元訳]



まあ、至極当たり前のことばかりですが実行するとなると難しいのは今も昔も変わらないということですね。

特に後半は節約や節制についての文言ですから、この問答は修行者に向けた内容というよりは、その多くは在家者に向けた内容であると理解できます。


このようにお釈迦様の言葉には、「修行者に向けた言葉」と「在家者に向けた言葉」が混在しています。

そのことをとって「お釈迦様の言葉には一貫性がない」と言われることがありますが、修行者と在家者への言葉はそれぞれが理解しやすいようにお釈迦様は言葉を変えて説かれたのですから当たり前のことですね。

だから、スッタニパータやダンマパダなどを読むときもそれを意識して読むといいです。

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