私の生死観

私は小さい頃から「死んだらどこに行くのだろう?」とか「なんで死ぬのだろう?」なんてこと考えてきました。

そんなことを思っていた一番古い記憶は小学生の高学年頃かな。

でも、「死んだらどこに行くのだろう?」とか「なんで死ぬのだろう?」という疑問に納得のゆくような答えは成人しても見つかりませんでした。

宗教に聞いても「神を信じなさい」としか言われないし、そもそも「その神の存在は信用できるのか?」というさらなる疑問しか湧いてきません。

聖書やコーランの日本語訳を3回くらいずつしか読んでないけど、どうもこれは違うなと感じるわけです。唯一、原始仏教の経典だけは私を納得させうる要素が多かったのです。

原始仏教の経典、スッタニパータやダンマパダは5回以上読みました。でも、これを読んで思うのは原始仏教って宗教じゃないんじゃない?ってことです。

そもそも、原始仏教の経典には「神を信じなさい」とか「信仰が全てである」とかはあまり書いてありません。

ただ、「各々がどのような心をもって今を生きるべきか?」という指針をお釈迦様が述べるという形式のものです。ここが他の宗教と違う点ですね。原始仏教の経典は宗教というよりは道徳、哲学に近い内容です。

だから死についてもあまり追及されていません。どちらかと言うと現世主義的な印象なのです。でも普通の現世主義と違うのは「死は必ず訪れるものだから、今を生きているうちに一刻も早く為さねばならないことをなし、為さざるべきことはなさないようにすべきだ」という単純な発想な点にあります。

悪い事なんかしている暇はない。死はあっという間に私を連れ去ってゆく。だから、生きている間になるべくよい事をしておきなさい。そうすれば死んだときに後悔が少なく、また死後の世界に恐怖せずにいられる。

原始仏教ではこのような生死観なのです。(もう少し深いところの話だと輪廻転生と解脱の話になるのだけど、それは修行僧レベルの話です。世俗と言われる一般の人々への教えはまた少し違うのですね。)



話がそれましたが、今の私が考えている生死観はお釈迦様の教えに沿った考えであると思います。

簡単に言うと、

死はすべての生き物に必ず訪れるものである。だから、死は恐れるものではない。

では人はなぜ死に恐怖するのか?

それは自分の為すべきことをなさず、為さざるべきことをなしてしまうことに原因があると思うのです。

簡単に言えば死の恐怖とはすなわち「今の自分が知らない世界(死後)で、現世に起こしたすべての罪悪が暴かれてしまうのではないか」ということを恐れているということなのです。

例えば、犯罪を犯した犯人が警察を恐れるようなものです。犯罪を犯していない人、ましてや善人が警察を恐れる心配があるでしょうか?


このように考えると、現世もあの世も一つの線で結ばれているのではないかということです。つまり、現世の延長線上にあの世がある。このように私は死後の世界を考えています。

だから、死は恐れるものではないと思うのです。

そもそも命は私のものではありません。


命(寿命)は私には決められないからです。私の命は何かの力から授かったものなのです。この意味をよく考えることです。なぜ私は今を生きているのか?生かされているのか?

生きるとは何なのか?なぜ、生きなければいけないのか?



生きる、生かされている延長線上に死の意味もあるはずなのです。わかりにくいでしょうか?


私たちは生きているのではなく、何かの力によって生かされています。寿命の長さを自分では決められないのがその証拠です。

だからこそ、生きている間に悪い事はなるべくせず、善い行いを多くすべきだと思うのです。寿命を決めている何かの力によって私たちはすべてを見られているからです。だから、誰も見ていないからと言って悪いことをしてはいけないのです。

例えば昔から日本では閻魔大王様が地獄行きか天国行きかをその人のそれまでの言動によって裁くというお話しがあります。これはある意味で真実なのかもしれません。

閻魔大王様ではないけど、私たちは何かの力に生かされている以上、すべてはその力の持ち主によって私たちの言動はチェックされているはずです。



だからこそ、生きている間に善行を積んでいれば恐怖することもないのです。恐怖するのは、悪行を行い、善行を積まなかった証拠です。

こう話すと、「親に言われるからよいことをする」というような話と同じようにとられるかもしれません。

でも、親に言われてしていた善行でも、その子が成長する過程の中でそれがやがて自分のものになってゆくのです。

それと同じです。


「何かの力」これを神と呼ぶ人がいます。真理と呼ぶ人もいるでしょう。でも、本当は同じものなのです。


何かの力によって生きている私たちは死によって終わるのでしょうか?

私はそうは思いません。では、輪廻転生をするのでしょうか?

私にはわかりません。

ただ、私に分かるのは、今を生かされているうちに「いつ死んでもいいように生きる」ということです。

死んだときに恐怖することなく、生きていた時の私を振り返ったとき、死後の私が恥ずかしくない行いをしたい。ただ、それだけなのです。



もちろんすべてを完璧な善行にすることなどできるわけがありません。でも、それでもいいのです。

少しでも、小さなことでも胸を張って言える行いを1つずつ増やすこと。これこそが現世での本当の生きる意味ではないか?こう私は思うのです。
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2 Comments

tamiko  

??

ここ最近のひまわりさんの断捨離が限界を過ぎているように感じていました。
そんなに断捨離して引っ越し先はいったいどこ??
そう思って、いた矢先にこんなブログは、驚きです。
今夜はそのことを書いてみようとここを開いたのですが間違えたのかなと
一瞬思いました。
尼さんになるおつもり?
冬の出家は厳しいのでは?

2018/11/12 (Mon) 21:42 | REPLY |   

ひまわり  

Re: ??

tamikoさん

ご心配ありがとうございます。

今までの荷物が多かったのでそれらを処分しているだけです。

一戸建てからワンルームのアパートに引っ越すというイメージです。

生死観は昔からこのブログにはたまに書いています。私のライフワークですからご心配なく。( *´艸`)

まあ、生活の変化はあるのでその辺はお察しください。

2018/11/13 (Tue) 08:06 | REPLY |   

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