半世紀近くを生きてきての今の感想[生きる意味とは]

若い頃は「生きる意味」なんて考えたことがないというか、そもそもそんなことの答えが若い時分の自分で出せるはずもなく、悶々としながら時より「生きる意味」という命題を思い出しつつもあてのない思考の中で旅をするわけです。そしてその手がかりを探して3大経典を読んでみたり、哲学や思想家なんかの先人たちの教えをパラパラと紐解いてきました。

それが功を奏したのか、ただ単に年月がある種の解決策を講じたのか、40代に入ってようやく「ブッタの言葉」(原始仏教経典)から自分なりの答えを導きだせたような気がするのだけど、それが正解なのかそうでないのかは死んでみないとわかりません。

いや、「そもそもこの世には正解なんてないんじゃないかな」というのもおぼろげに感じているのだけど、それも正解かそうでないかもこれまたわかりません。

つまり、この世で「確固たる正解」と言うのは真理以外にないと思うわけです。では「真理とは何か?」と言う話になるとまたこれも長くなるのでここではよしましょう。

で、何が言いたいのかと言うと、今の自分の「生きる意味」を少しまとめてみようかなと言うことです。


では、今の自分聞きましょう。

「生きる意味とはなんぞや?」

それは自らの変化を体験することではないかなと思うのです。

この世はとどまることなく変化をしています。それを人は時間と称していますが、時間は根本的に変化とは何の関係がありません。

つまり変化が先にあって、時間変化を不確定な要素で定義付けただけです。


ここで「時間はない」という持論を展開しても時間を浪費するだけなので時間論もやめておきましょう。


ここで言いたいのは変化こそこの世の原理原則であるということです。


私たちはこの世に生を受けた時点から何もしなくても勝手に年老い、最後には死んでこの世から無くなります。

この変化こそがこの世の存在意義そのものではないかなと私は思うわけです。


先にも言ったように「この世には正解は存在しない」のです。なぜなら変化には正解はないからです


この世が変化を体験するための存在(時空)であると考えるのなら、もっとシンプルにこの世の存在意義や生きる意味を想像できるのです。


わかりにくいでしょうか?


そう、わかりやすく例えるなら、「旅行」をイメージするといいでしょう。

旅行をするのは旅行自体に価値を見出すことではなく、旅行による体験、経験を目的としています。往復の景色や途中でのおしゃべり、いい景色や美味しいもの、気持ち良い温泉など、そのすべてが体験、経験のためです。

人生もそれと同じなのではないかなと思うわけです。

変化というこの世の波の中で体験、経験することこそ、この世の意味であり、生きる意味でもあるのではないでしょうか?


この世では正解がない。

それゆえにいいことも悪いことどちらもできるのです。(善悪はないのですが真理はあるのです。)

それを選択するのは自分以外にありません。その選択の責任はすべて自らにあるわけです。(自己責任の原理)


だからこそ私は自らの生き方に誇りをもって生きたいと思っているのです。良いことも悪いこともすべては自分の選択なのですから。


長くなりました。

今日はこのあたりでお終いにしましょう。



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