続・私の時間論(タイムトラベルは可能なのか?)その2

さて、前回の続きです。

続・私の時間論(タイムトラベルは可能なのか?)その1



○タイムトラベルが可能かもしれない方法が閃いた。
○でもそれはTVドラマや映画のように普通にできることではない。
○生身の人間はタイムトラベルするのは無理。

とここまで前回書きました。

ここまで書いてあればタイムトラベルするための条件はわかりますよね?


その前にタイムトラベルしたと言われる人によくある話を書いてみましょう。

例えば、

飛行機に乗っていて乱気流に巻き込まれいつの間にか意識を失っていたパイロットが目覚めてみると知らない世界だった。西暦をみると自分が居た時代よりも後の世界のようだった。不思議に思いながらも再度飛行機に乗ると前と同じように乱気流に巻き込まれ、気が付いてみると元の世界に戻っていた。時間はほんの数分、もしかしたら数秒だけしか経っていなかったのかもしれない。



とか言う話を聞いたことがありますよね。この場合なんかは典型的だと思うのです。




ところで「タイムトラベル」を語るうえで欠かせないのが『パラレルワールド』の存在です。

私が考えるいわゆる「タイムトラベル」は「パラレルワールド」を垣間見ることなんじゃないかなと思うのです。

でも、『そもそも「パラレルワールド」なんか存在するの?』というご意見があるとは思います。

私的にはあると思うのです。

それが『異次元』であるとか、ブラックホールやホワイトホールの中であるとかはどうでもいいのですが、『この世以外に次元が存在しない理由がない』という単純な発想ですけどね。

ただし、無数にあるだろうパラレルワールドの中から今の次元の未来とか過去を見ることの必然性がわかりません。

『なぜ、元々住んでいた次元の過去・未来にしか行かないのか?(臨死体験はまた違う場所みたいですが。w)』

わかる人いたら教えてください。




まあ、理論的に考えれば『生まれた次元にしか適応・認識できていない目・脳(認識)で見るから、生まれた次元の過去か未来しか見えないのかもしれません。つまりラジオの周波数を合わせないとラジオから声が聞こえないように、見える次元は元の時代の次元のパラレルワールドに限られるのかもしれません。そう考えれば、腑には落ちますよね。

しかし、この現象が起こるのはなぜなのでしょう?

何者かの意思によって見せられているのならもう私にはお手上げです。w



話を本題に戻しましょう。

先のパイロットのタイムトラベルの場合、肉体はたぶんタイムトラベルしていないはずです。タイムトラベルしたのはパイロットのというか霊体とかいうやつです。意識体と言った方がいいのかな?つまり、肉体以外の自分です。(以下、意識体と表記します。)

「そんなのあるわけないだろう?」とおっしゃる方も多いかと思いますが、あるんですよ。(あるんかい!)


体外離脱』とか『臨死体験』は意識体が物質的肉体を抜け出た典型ですね。



さあ、ここで『生身の人間では無理』としたタイムトラベルなんですが、意識体なら可能じゃないかと思ったわけです。

素晴らしい発想ですね。肉体は物理的に無理でも、肉体を離れた意識体なら『次元を行き来できたり、過去・未来に移動できるのではないか』こう考えたわけです。

そうであるのなら、例のパイロットが再び戻ってきたときに少しの時間しか過ぎてなかった理由にもなるんじゃないでしょうか?(いうなれば意識体に時間は存在しないのです。瞬間移動も可能だし、過去未来を飛び越えることも可能であると思われます。)

つまり肉体がタイムトラベルしたのではなく、意識体がタイムトラベルした』のです。




「でも、移動した先のパラレルワールドで普通の肉体を持った人間として認識されるのはどうしてか?おかしくない?」と思うかもしれません。

しかしこれは簡単に説明できるのですよね。

『人間(肉体)の物体認識』は目から入った情報を脳で処理して「そこにモノがある」と認識するわけです。つまり、逆にいえば見えなくても脳が見えると判断を下せばそのモノは見た人にとって『存在するモノ』になってしまうわけです。

何らかしらの作用によって「異次元からの訪問者(意識体)」をその次元の人は「実在する人」と認識するのなら、その訪問者(意識体)はその次元で存在しているとなるわけです。だから、この次元でよく話にある「異次元からの訪問者」が忽然と消えたりするわけですね。もともと肉体はないのです簡単に消えるのです。




さあ、ここまで話せばタイムトラベルの可能な条件がわかりましたよね。

私の答え:

意識体になればタイムトラベルが可能と考えられる。

です。




もちろん『意識体』になることは特殊な訓練や才能が必要になるでしょうから、一般的にはタイムトラベルは不可能だとは思います。



さらに(私の主張する)『そもそも時間などない』のだからタイムトラベルはできないのではないか?という疑問はこう解決することができます。

再度例え話に戻りましょう。先のわたしが語ったコピー機のコピーの話です。


コピーを重ねた画像は劣化する。それが『老化』であり、そこに『時間』を証明するものがないのだから、存在するのは『変化』のみだ。


この例でいうなら『変化』を続ける各々のコピー用紙の画像ですが、この世においては肉体的は「劣化」の方向にしか『変化』はできません。それがこの世の仕組みだからです。

しかし肉体を離れた『意識体』であるのなら、この『仕組み』を超越することが出来るのです。つまり、『どのコピー用紙の画像にも瞬時で移動できる』わけです。

(この場合、前までの文章はわかりやすく『時間(タイム)』と表記したのですが、正確には『変化』なんです。そもそもこの世にも時間は存在しないのですから。)






どうだったでしょうか?

意味不明だった?

まあ、私は他人を教え諭すような偉い人間ではないので理解されなくてもいいのです。

ただ、私はこんな風に思っているのだよと理論の自己整理を兼ねてこうして文章にしているわけです。

ただそれだけなんです。


自分自身の『変化』を書くと、以前は「タイムトラベルは不可能」と思っていました。

しかし、今は『意識体としてならばタイムトラベルは可能』と『変化』しました。

面白いですね。実に面白い。


数年後の私の見解はさらに変化している可能性はあります。

真理(普遍)を突かない限り、「老い」と同じように『変化』は免れないからです。



そう考えるから今の自身の考えを書き留めておくのがこの記事の意図です。




おしまい。
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