もしも「幸福」を実現できたのなら、それが「幸福の終わり」ではないはずだ。
本当の「幸福」の存在理由は「幸福のかなたにあるもの」を見せるためなのかもしれない。
「幸福」がただの1刹那の喜びでしかないないならば、また、その「幸福」をかみしめるためだけのものでしかないならば、こんなにも「幸福」は全人類的憧れにはならなかったはずだ。
この世の「幸福」の彼方にあるものこそ、本当の「あふれんばかりの幸いに満ちた世界」が広がっているのかもしれない。
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