夜の読書

最近また寝る前の読書を再開したのですが、、、、すぐ眠くなる、、、。

大体夜9時くらいに床に入って読むような感じだけど、2,3ページ進んだくらいでだんだんと眠くなあ~る~。何とか1日1章は読むようにしているのだけど、途中で寝落ちして10分くらい記憶のない時間があったり。

この感覚はいつか体験したようなと考えてみたら、(古くからの読者ならご存知だと思うが)聖書を読んでいるときに感じた眠気感と同じ。今読んでいるのはコーランだけど、聖書と同じ眠気に襲われながらの読書です。

コーランは随分前からの続きを読んでいるのは前述のとおりで、現在はコーランⅡの半分を過ぎたところです。何とか読破して三大宗教の経典読破の野望を完結させたいものです。

まあ、この野望も時間の問題だけど。( ̄ー ̄)

とはいえ、聖書(旧約1回、新約2回)もコーランもまだ1、2回しか読んでいないので最低3回は読破する予定。スッタニパータ、ダンマパダ、ウダーナバルガ、マハパリニッバーナスッタンタなどの原始仏教経典は比較的短いのですでに3回以上は読んでいるのだけど聖書とコーランは長いので1回読むのも苦労します。でも1回読んだものは飲み込みが早いから2回目のほうが早く読めると思うのです。私は頭が悪いので最低3回は読まないと概略さえ飲みこめません。まあ、3回以上読めば、「俺はこれ読破してるぜ」と気軽に?自信をもって言ってもよいのではないでしょうか。

はじめてあるいは最近の方に追記しておくと個人的なライフワークとして「真理」とはなにか?を私は追っているのですけども、その関連で随分前からお経(仏教経典)、聖書やコーランとはどんなものなのか?という疑問があったのです。聖書やコーランはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の教典であるわけですが、それぞれは欧米、アラブの文化と深く関連しており、また歴史とも深い関連性があります。特に今日のグローバル化においてそれぞれの文化があるいは宗教が垣根を越えて経済活動、政治活動が行われているわけで、日本もそれに準じているわけでありますから、それぞれの文化の根源とも言える宗教の教典を知ることはそう意味からも有意義でもあるわけです。

まあ、そんなこんなのうんちくはどうでもいいのですが世界3大宗教教典の読破は「真理の追究」の上で有意義であることは間違いないことでありますからこの壮大な?なすべきことをなすことにしたのです。もっとも私は学者でも宗教者、信者でもないので厳密な定義をうんぬんとかを追及しているわけではなく、どのような考えで、どのような教えがあるかを知りたいと思うだけなのであります。

コーラン〈1〉 (中公クラシックス)




コーランII (中公クラシックス)


関連記事



いつもポチっと、ありがとうございます♪v(^∇^*)/^☆

にほんブログ村 その他生活ブログ 明るい貧乏生活へ 質素とエコに暮らす日々 - にほんブログ村


0 Comments

コメント