第2 小なる章

271 貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好きと嫌いと身の毛もよだつこととは、自身から生ずる。諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ、──あたかもこどもらが鳥を投げてすてるように。

272 それらは愛執から起こり、自身から現われる。あたかもバニヤンの新しい若木が枝から生ずるようなものである。それらが、ひろく諸々の執著していることは、譬えば、つる草が林の中にはびこっているようなものである。

[ブッダのことば(スッタニパータ)中村 元訳]



感情は己の中から生じて、心を迷わす。それは愛着心から起こり生ずる。

つまり感情は生存への執着が根源であるのだろう。


注:この記事は右のカテゴリ(スッタニパータ)の中にある過去の記事を新たな自分のコメントを加え、再投稿するものです。


そもそも嫌悪や好き嫌い、貧欲、渇欲というのはどこからともなく沸いてくるのです。それはたぶん過去の経験則や思い込み、刷り込み、あるいは動物的本能として起こるものなのかもしれません。

つまり、それらは「生存本能」にかかわる部分、言い換えれば「動物的本能」に近い反応、すなわち「生存欲」であると思うのです。

そして、これらの感情(生存欲)が「自分の心を支配し、自らの行動を支配している」とお釈迦さまはここで説いています。


何を伝えたかったのかというと「生存欲(愛執や執着)というものが自分自身の心や行為を支配している」ゆえに「それらを捨て去さり、解放されることこそ、解脱へと続く道である」と説いているのです。




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