第4 八つの詩句の章

782 人から尋ねられたのではないのに、他人に向かって、自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、自分で自分のことを言いふらすのであるから、かれは「下劣な人」である。と真理に達した人々は語る。

783 修行僧が平安となり、心が安静に帰して、戒律に関して「わたしはこのようにしている」といって誇ることがないならば、世の中のどこにいても煩悩のもえ盛ることがないのであるから、かれは<高貴な人>である、と真理に達した人々は語る。

[ブッダのことば(スッタニパータ)中村 元訳]



「高貴な人」と「下劣な人」の違いです。


当時は階級制度の厳しい時代でしたから、生まれた階級が上級な人ほど「高貴な人」であるとされ、また生まれが下級な人ほど「下劣な人」と呼ばれました。

その中にあってお釈迦さまは

生まれによって高貴な人となるのではない。行いによって高貴な人となるのだ。

と教えました。そして、

誰しも自らの行いによって高貴な人となり、また解脱することができる。

とおっしゃいました。この思想は当時の卑しい身分とされていた人々に希望を与えたことでしょう。



こうした背景があって「高貴な人」と「下劣な人」の話があります。



ここでは、自らの行いを他人に誇る人を「下劣な人」とし、立派な修行をしながらも他人に対し自らを誇るようなことしない人を「高貴な人」としています。


今は西洋思想が蔓延していますので、このような高貴が好まれませんね。でも、自分にとって本当に良いのはきちんとした行いをしながらも、それを誇らない人です。

なぜなら、他人に誇るというのは「自分がこれだけしている」と認めてほしいという欲求(欲)だからです。

お釈迦さまの思想は「欲」を滅することにあります。「欲」が煩悩を生み、また不満、苦しみを生むからです。この「欲」を持たないことが解脱への道なのです。ゆえに「誇ることをしない人(=解脱に近い人)」が高貴であると教えたのだと私は思います。



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